江戸時代の砂糖について
砂糖は、大変な貴重品だった
江戸時代の初めには、砂糖は大変な貴重品で、病人や体の弱った人などに嘗めさせる薬として、薬屋で売られていました。
一般庶民にとって、甘いものといえば、蜂蜜や干し柿などの果実、水飴やさつまいもくらいで、砂糖は高嶺の花であり、不老不死の妙薬とすら考えらていました。
その後長く平和が続くと、人々の嗜好も肥えてきて、砂糖の需要も年々増え続けましたが、多くが海外からの輸入品で、江戸初期には沖縄等でサトウキビが植えられるも長い期間軌道に乗らず、精製技術も芳しくありませんでした。
しかしその後、銀や銅の不足によって貿易が縮小され、砂糖の輸入が少なくなったこと等がきっかけで、国内での砂糖の生産が奨励されました。
高い品質の砂糖が国内でも多く生産されるようになり、江戸時代の中ごろになって、ようやく庶民の口にも入るようになってきたのです。
エレキテルの発明で有名な平賀源内が、サトウキビから白砂糖の精製に成功したという説もあり、彼の出身地である香川県高松の砂糖は「和三盆」と呼ばれ、現在でも高級品として有名です。
料理の味付けに、欠かせなくなった砂糖
幕末の江戸では、菓子用だけではなくいっさいの食物に用いられるようになり、醤油・鰹節と並んで料理に欠かせない存在になりました。
甘くてからい、「江戸前の濃い味」が確立したのもこの頃です。
江戸では一日に、160樽もの砂糖が消費されたといいます。
砂糖が広く普及した後も、依然砂糖は貴重品であり、薬屋で扱われていました。
ちなみに、江戸時代の料理本には、「甘み」に「うまみ」とふりがながふってあったとか。
砂糖が貴重で高いものであっただけに、美味しいもの=甘いもの、という感覚があったんですね。
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